「正しい手順」より「耳で聴く」|Andrew Schepsが語るミックスの本質

この記事では、ミキシングエンジニアAndrew Schepsのインタビュー動画を、DTMユーザー向けに日本語に翻訳して解説しています。
ミックスの「ルーティン」は創造性を奪うものではない
Red Hot Chili Peppers、Adele、Metallica、U2、Jay-Zなど数々のヒット作を手がけてきたグラミー受賞ミキシングエンジニア、Andrew Schepsのインタビューには、DTM初心者からプロまで参考にできる考え方が詰まっています。
一見すると、音楽制作のようなクリエイティブな仕事は、毎回違うやり方を試したほうが自由で創造的に思えます。しかしSchepsの考え方はむしろ逆です。彼は自分専用のミックステンプレートを持っており、トラックの色分け、並び順、ルーティングといった基本作業をある程度固定しています。
テンプレートは「守るため」ではなく「集中するため」にある
重要なのは、テンプレートを毎回100%そのまま使っているわけではないという点です。「別の方法のほうが良い」と思えば、テンプレート自体を柔軟に見直します。つまりルーティンとは、「毎回同じことをするための規則」ではなく、毎回考えなくてもいい作業を自動化し、本当に判断が必要な部分に集中するための土台です。
トラックの色分けや並び順を毎回一から決めていたら、それだけで数分〜10分が音楽と無関係な作業に消えてしまいます。反対に「ドラムはこの色」「ボーカルはこの位置」と決まっていれば、問題が起きた瞬間にすぐ音楽的な判断へ入ることができます。
ゲインステージングより「音の感覚」を優先する
Schepsのインタビューで印象的なのが、ゲインステージングに対する姿勢です。「信号は必ず−18dBFSに合わせるべき」といった数値的なルールに、それほどこだわっていません。ミックスバスに信号が入りすぎていると感じたら全体を少し下げ、足りなければ上げる——数字で先に正解を決めるのではなく、音を聴いて問題が起きたら修正するという方法です。
数字を目的にしない
もちろん、これはメーターを一切見ないという意味ではありません。重要なのは、メーターを見ること自体が目的化してはいけないという点です。クリエイティブな作業の流れに入っている最中に、「本来は−18dBのはずが−16dBになっている」という理由だけで作業を止めてしまうのは本末転倒だ、というのがSchepsの考え方です。
ドラムから始めてボーカルを最後に入れる理由
Schepsの基本的なミックスの進め方は、ドラム → その他の楽器 → ボーカルという順番です。
ドラムから始める理由は明確です。ドラムは一つの楽器のように扱われますが、実際にはキック、スネア、ハイハット、タム、オーバーヘッド、ルームマイクなど非常に多くのトラックで構成されています。まず「複数のトラックを一つの楽器として成立させる」ことに向き合う必要があるためです。
一方でボーカルは最後に入れます。これはボーカルが重要でないからではなく、むしろ最も重要な存在だからこそ最後に入れるという考え方です。
ボーカルが入った瞬間、優先順位が変わる
例えば、ギターに細かいアレンジが施されている場合、ボーカルが入っていない段階では「このフレーズをもっと目立たせよう」と考えられます。しかしボーカルが入った瞬間、「そのギターはボーカルを邪魔していないか」という全く別の判断基準に切り替わります。ミックスとは各トラックを単体で良い音にする作業ではなく、全体の中でそれぞれがどんな役割を果たすかを決める作業なのです。ボーカルの後にコーラスが入って、ギターを再調整することもある——ここにミックス作業の対話的な性質が表れています。
「一曲を一気に仕上げない」という進め方
Schepsはアルバムのミックスを、1曲ずつ完成させるのではなく、アルバム全体を並行して進めるスタイルを取っています。ある曲に飽きたり、次に何をすべきか分からなくなったりしたら、その曲を一旦閉じて別の曲に移り、後でまた戻ってくるという方法です。これは、ミックスを「1曲を完成させる作業」としてではなく、アルバム全体のクオリティを上げるための長期的な作業として捉える発想です。
「正しい手順」は存在しない
「最初に全部のフェーダーを下げる」「ボーカルから作る」「キックとベースから始める」「最初に−18dBFSに合わせる」——ミックスの手順論は世の中に数多く存在します。しかしSchepsの考え方は明快です。最後に全体が成立していれば、途中の順番はそれほど重要ではないというものです。
重要なのは「どの順番なら、自分が余計なやり直しをせず、最もクリエイティブに作業できるか」という一点であり、他人の「正しい方法」をそのままコピーする必要はない、という姿勢です。
ソロで音作りしないという鉄則
Schepsが特に強く避けるべきだと語るのが、すべてのトラックをソロで聴いて一つずつ音作りをすることです。リスナーが実際に聴くのは「ドラムのルームマイクだけ」でも「ベースだけ」でもなく、全部が同時に鳴った状態の音楽だからです。
Rival Sonsのミックスに学ぶ「余計な音」の価値
具体例として挙げられているのが、Rival Sonsの楽曲をミックスしたときの経験です。ドラムのルームマイクにはベースの音がかなり漏れていました。もしそのトラックだけをソロで聴いて「低域が邪魔だからハイパスフィルターを入れよう」と判断していたら、その低域を消してしまっていた可能性があります。しかし実際のミックスでは、その「漏れて聞こえていた低域」こそが、ドラムを巨大に感じさせる重要な要素になっていたのです。
問題は「探す」のではなく「聞こえたら直す」
Schepsの考え方を一言でまとめると、「問題が発生したら処理する」であり、「とりあえず全部のトラックをソロにして悪いところを探そう」とはしない、という姿勢です。ミックスエンジニアの仕事は問題を作り出すことではなく、問題を解決することだからです。
EQブーストは分析ではなく耳で探すための道具
不要な周波数を探すためにEQを大きくブーストしてスイープする方法自体は、Schepsも否定していません。ただし「3783Hzが原因だ」と正確に言い当てる必要はなく、2〜5kHzあたりの範囲をブーストして動かし、「ここだ」と耳で判断してからカットするという使い方です。つまりEQは分析機器としてではなく、自分の耳が問題を発見するための探索ツールとして使われています。
「ミックスは科学ではなくアート」という結論
インタビュー全体を通して一貫しているのは、「何をすべきか」ではなく「何が聞こえているか」を基準にするという姿勢です。「プロならこうする」「このプラグインはこの設定にすべき」といった情報は世の中にあふれていますが、それをルールとして絶対視すると、音楽そのものから離れてしまいます。
Schepsが最後に語る言葉が象徴的です。ミックスエンジニアの仕事とは、テクノロジーを使ってクリエイティブな問題を解決することであり、設定値やメーターの数字が正しいかどうかではなく、曲を最後まで聴いたときに「ここを変えたい」と思う場所がなくなること——それが完成の基準になります。
この哲学を整理すると、次のような流れになります。
- ルーティンを作る
- ルーティン部分は素早く処理する
- クリエイティブな判断に集中する
- 数字ではなく音を聴く
- 問題が聞こえたら処理する
- 問題がない部分には余計な処理をしない
- 曲全体の中で判断する
- 最終的に「何も変えたいところがない」状態を目指す
特に重要なのは、「処理すること」と「問題を解決すること」は同じではないという点です。プラグインをたくさん挿すことがミックスなのではありません。良いミックスとは、必要な場所に必要な処理だけを行い、楽曲の魅力を最大限に引き出すことです。
MASTER SOUNDが大切にしているミックスの姿勢
MASTER SOUNDでご依頼いただくミックス・マスタリングでも、この考え方を大切にしています。テンプレートやルーティンを持ちながらも、最終的な判断は「数値が正しいか」ではなく「曲として聴いたときにどう感じるか」を基準にしています。
ご自身でミックスをされていて「手順通りにやっているのに、なぜか違和感が残る」と感じている方は、その違和感こそが耳が拾っている本当のサインかもしれません。手順にこだわりすぎず、曲全体を通して聴いたときの印象を大切にしてみてください。もしご自身での判断に迷われた際は、いつでも楽曲データをお送りください。
本記事は、ミキシングエンジニアAndrew Schepsのインタビュー動画の内容をもとに、MASTER SOUND編集部が音楽制作者・DTMユーザー向けに再構成したものです。








